2012年4月24日火曜日

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 『イギリスにおける労働者階級の状態』1844

                            エンゲルス著 岩波文庫

 ともかく、無産階級が社会的戦争にさらされている状態について、もっと詳細に検討する事にしよう。社会は労働者に労働の報酬として、住居、衣服、食物の形で、いったいどれほどの賃金を支払っているのか、社会の存立に最大の貢献をしているものに、いったいどれだけの暮らしをかなえてやっているのかという事を見てみよう。では、まず、住居から始めることにしよう。

 どの大都市にも、労働者階級が密集している「貧民街」が一つかそれ以上はある。富者の豪邸のすぐそばの裏道に貧民が住み着いていることも、むろんしばしばある。だが一般には貧民には個別の地区が割り当てられ、そこで彼らはもっと幸福な階級の目から追い出されて、自分たちで何とかやりくりすればよいことになっている。これらの貧民街は、イングランドでは全都市でほぼ同様に設けられている――都市の最悪の地区にある最悪の家々であり、たいていは三階建か二階建の煉瓦造りの長屋で、場合によっては人のすむ地下室があり、ほとんどどこでも家並みは整っていない。三部屋か四部屋と台所からなるこれらの家はコテージと呼ばれ、全イングランド――ロンドンの一部を除き――で労働者階級の一般的な住居であ� ��。街路がそもそも一般的に未舗装のでこぼこ道で、きたなくて、野菜くずや動物の糞があちこちにちらばっている。排水路も側溝もなく、そのかわりに、よどんだくさい水たまりがある。それにくわえて、地区全体のつくりかたがひどくて、ごちゃごちゃしているために、換気が悪い。また多数の人間が一つの挟い場所で生活しているために、こうした労働者地区にはどのような空気がただよっているか、容易に想像することができる。さらに、天気のよい日には、街路は物干し場となる。家から家へとひもが渡され、ぬれた洗濯物がかけられる。


大恐慌/写真

 こうした貧民街のいくつかをくわしく見てみよう。まずロンドンがある。ロンドンには有名なセント・ジャイルズの「貧民窟」(rookery)があるが、これは二、三の広い道路を通すために、いまやついにこわされることになった。ここセント・ジャイルズは、ロンドンの社交界の人びとがぶらつく、はなやかで幅広い街路に囲まれた、この都市のもっとも人口稠密な部分のまんなかに――オクスフォード・ストリートやリージェント・ストリート、トラファルガー・スクウェアやストランドのすぐ近くに――ある。そこは四、五階建の高い家々の乱雑な集まりで、挟くて曲がりくねった、きたない街路がある。街路はこの都市を貫通する主要道路と少なくとも同じくらい活気がある。ただしセント・ジャイルズでは労働者階級の人しか見られないのだが。街路では市が開かれ、当然ながらすべて質が悪く、ほとんど食べられないよ うな野菜や果物のかごが、通路をいっそう狭めている。そしてそれらのかごや肉屋の店から、いやなにおいがただよってくる。家には地下室から屋根の下ぎりぎりまで人が住み、家の内も外もきたなく、だれもそのようなところに住んでいそうもないように見える。しかしこれらのものはみな街路にはさまれた挟い裏小路にある住居と比べれば問題ではない。家々のあいだの、おおわれた通路を通ってなかに入ると、そこのきたなさと荒廃ぶりは想像を絶する。完全な窓ガラスはほとんど一枚も見られず、壁はくずれ、戸口の側柱や窓枠はこわれてがたがたしており、ドアは古板をくぎで留めあわせたものであるか、あるいはまったくついていない。この泥棒街では盗む物がないのだから、ドアなどは無用なのである。ゴミや灰の山がいた� ��ところに散在し、ドアの前へぶちまけられた汚水が集まって、悪臭を発する水たまりとなっている。ここでは貧民中の貧民、つまり最低の賃金を支払われている労働者が、泥棒や詐欺師、売春の犠牲者とまざりあって住んでいる。たいていの者はアイルランド人かその子孫で、周囲の道徳的堕落の渦のなかに自分ではまだ巻きこまれてはいないが、日ごとに深く沈み、窮乏や汚辱、そ して劣悪な環境の退廃的な影響にたいする抵抗力を日ごとに失っている。


9マイル滝モンタナ

 しかしセント・ジャイルズがロンドンの唯一の「貧民街」ではない。はなはだしく複雑な街路には何百、何千もの人目につかない横町や小路があり、ここにある家は、人間らしい住居にまだなにほどかの金を出せるすべての者にとってあまりにもひどすぎる。富者のきらびやかな家のすぐそばに、しばしばそのような極貧者の陋屋がある。こうして、最近ある検死の際に、まことにお上品な公共広場であるポートマン・スクウェアのすぐ近くの一地域が、「汚辱と貧困とによって堕落した多数のアイルランド人の」居住地と呼ばれたのである。こうして、当世流行ではないが、しかしお上品なロング・エイカーなどのような街路には多数の地下室住居があり、そこからは虚弱な子供や、なかば飢えた、ぼろ着姿の婦人が日のあたる� ��ころに上がってくる。ドルアリ・レイン劇場――ロンドン第二の劇場――のすぐ近くに、全ロンドンで最悪のいくつかの街路――チャールズ・ストリート、キング・ストリート、パーカー・ストリート――がある。そこの家々にも、同じように地下室から屋根裏部屋まで赤貧の家族が注んでいる。統計協会の雑誌によれば、ウェストミンスターのセント・ジョン教区とセント・マーガレット教区には、1840年に5366の労働者家族が5294の「住居」――この名に値するのであれば――に住んでいた。年齢や性別を考慮せずに、男、女、子供をごたまぜにして合計26830人が住んでいたのである。しかも上述の家族の四分の三は、たった一部屋しかもっていなかった。同じ典拠によれば、ハノーヴァー・スクウェアの貴族的な教区セント・ジョージには、1465の労働者家族、合計6000人が同様の状況で住んでいた。ここでもまた全家族数の三分の二以上が、一家族あたり一部屋の割合でひしめいていた。そして泥棒でさえ相手としないこうした不幸な貧民は、有産階級によって、合法的な仕方でどのように搾取されていることか! 前述したドルアリ・レイン近くのひどい住居では、以下の家賃が支払われている。地下室住居二つで週に三シリング(一ターラー)、一階の一室で週に四シリング、二階の一室で週に四・五シリング、三階の一室で週に四シリング、屋根裏部屋で週に三シリング。その結果チャールズ・ストリートの飢えきった住民だけでも、毎年2000ポンド・スターリング(14000ターラー)の貢ぎ物を家主に支払っている。またウェストミンスターの上述5366家族が毎年支払う家賃は、総額四万ポンド・スターリング(27万ターラー)である。


エンジェルフォールタイムライン

 だが最大の労働者地区はロンドン塔の東――ホワイトチャペルとベスナル・グリーン――にあり、そこにはロンドンの労働者大衆の大部分が集中している。ベスナル・グリーンのセント・フィリップス教会説教師であるG・オールストン氏が、彼の教区の状態について語ることを聞くことにしよう。

 「教区には1400戸の家があり、そこに2795家族、もしくは約12000人が住んでいる。こ うした多数の住民が居住している面積は400平方ヤード(1200平方フィート)未満であ る。このようなつめこまれかたで、夫と妻、四、五人の子供、ときには祖父母までもが、 10ないし12平方フィートのわずか一室におり、そのなかで彼らが働き、食べ、眠るのは めずらしいことではない。ロンドン主教が世人の注意をこの極貧の教区に向けるまでは、 ロンドンのウェスト・エンドでは、オーストラリアや南海の島々の未開人についてと同 様、この教区についてほとんどなにも知られていなかった、とわたしは思う。もしこれ ら不幸な者の若しみをひとたび自分の目で知るならば、彼らの貧しい食事風景をそっと うかがい、彼らが病や失業にうちのめされているのを見るならば、かくも多量の困窮と 不幸に気づき、このようなことが存在しうることを、我々のような国民は大いに恥とし なければならないであろう。工場が不景気のどん底にあった三年間、わたしはハダ� �フ ィールドで牧師をしていた。しかしベスナル・グリーンで目にしたような貧民の全面的 な救いようのなさを、それ以来わたしは一度も見たことがない。近隣全体で10人に一人 の家長も作業着以外には一枚の服もなく、それがまた極度におそまつでぼろぼろである。 それどころか、多くの者は夜間にもこのようなぼろのほかには一枚の毛布もかけず、ベ ッドも藁と鉋くずをつめた袋のほかにはなにもない。」

 上述のことから、このような住居そのものの内部が一般にどのようなものであるのかを、我々はすでに承知している。余計なことだとは思うが、ときたまここにうっかり足を踏みいれるイングランドの官憲に、さらに二、三のプロレタリアの住居を案内してもらおう。


 サリーの検死官カーター氏が18431114日に、アン・ゴールウェイという45歳の婦人の死体を検死した際に、死者の住居に関して新聞は次のように報じている。彼女はバーモンジー・ストリート、ホワイト・ライオン・コート三番地で、寝台や寝具も、その他にも家具が一切ない小さな一部屋に、夫と19歳になる息子といっしょに住んでいた。彼女の死体は息子のかたわらで、ひとかたまりの羽毛の上に横たわっていた。毛布も敷布もなかったので、羽毛は彼女の裸同然の体の上にまかれていた。羽毛が体全体にぴったりとくっついていたので、医師が死体を調べるためには、まず体を清めなければならなかった。いざ調べてみると、彼女がまったくやせこけ、体一面が害虫にくわれていることに医師は気づいた。部屋の床の一部がはがされ、家族はその穴を便所につかっていた。

 1844年1月15日月曜、二人の少年が空腹で店から生焼けの牛の足を盗み、それをすぐに食ってしまったという理由で、ロンドン、ワーシップ・ストリートの警察裁判所に訴えられた。警察裁判所判事は審理を進める必要を感じたが、警察官からすぐに次のような説明を受けた。少年たちの母親はもと兵士でのちに警察官となった者の未亡人で、夫の死後、九人の子供をかかえて生活が非常に苦しかった。彼女はスピトルフィールズのクウェイカー・ストリート、プールズ・プレイス二番地に、極貧状態で住んでいた。警察官が彼女のもとを訪れたとき、彼女は六人の子供とともに、狭い裏部屋に文字どおりぎゅうづめになっていた。台の抜けた二脚の古い藺草製の椅子、脚の二本こわれた小さな食卓、こわれた� �ップ一個と小さな鉢一個のほかには、家具はなにもなかった。炉にはほとんど火の気もなく、部屋の片隅には、一人の婦人がエプロンにいれられるほどのわずかな古いぼろきれがあり、家族全員がそれをベッドにしていた。体にかけるものは、粗末な衣服のほかにはなにもなかった。あわれな婦人は警察官に、食物を手にいれるために前年ベッドを売らなければならなかったこと、敷布は少しばかりの食料品の抵当として食料品店にあずけてしまったこと、そしてただパンを手にいれるだけのために、なにからなにまで売らなければならなかったことを語った。警察裁判所判事はこの婦人に、慈善箱からかなりの金を前貸ししてやった。


 1844年2月に、ティリーザ・ビショップという60歳の未亡人が26歳の病身の娘とともに、マールバラ・ストリートの警察裁判所判事のほどこしを受けるのに相当するものと推薦された。彼女はグロヴナー・スクウェアのブラウン・ストリート5番地にある、たんすほどの大きさしかない小さな裏部屋に住んでおり、家具はなに一つなかった。部屋の隅にはわずかなぼろきれがあり、その上で二人は眠った。一つの木箱が食卓兼椅子であった。母親は掃除婦をしていくらか稼いでいた。家主の話では彼女たちの生活状態がこうなったのは1843年5月からで、まだもっていたものは、しだいにすべて売られるか、質にいれられるかしたが、それでも家賃を払ったことは一度もなかった。警察判事は彼女たちに慈善箱から1ポンドをあたえた。

 わたしは、ロンドンの全労働者が上述の三家族のような不幸な生きかたをしているのだ、と主張しようというのではない。一人が社会によって徹底的に踏みつけられているときに、10人はもっとよいくらしをしていることを、わたしは十分に承知している。だが、勤勉かつ有能で、ロンドンのあらゆる富者よりもはるかに尊敬に値する何千もの家族が、人間に値しないこのような状態にあるのだ、どのプロレタリアも例外なしにみな、自分のせいではなしに、またどれほど努力していても、同じ運命におちいるかもしれないのだ、とわたしは主張する。

問 エンゲルスの思想的立場は何か。

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