*以下の文章はワールドフォトプレス社刊の雑誌「トム・ソーヤー」2007年6月号のために書きおろしたものである。同社編集部の許可を得てここに再録する。
五〇年目のオン・ザ・ロード
「・・・世界がリュックサックの放浪者で、ダルマ・バムスで、あふれていると考えてほしい。生産されたものを消費するというよくある要求にこたえることを拒絶し、それがために、冷蔵庫やテレビ機器や自動車、少なくともこぎれいな新車や、ある種のヘアオイルやデオドラント、たいてい一週間後にはゴミの仲間入りをしているよくあるくだらないもの、労働・生産・消費・労働・生産・消費と続くシステムにとりこまれている一切すべてのものを拒絶するという特権のために働かなくてはならないものたちであふれている世界を・・・」
ペンブローク滝HOA
「・・・ぼくは、偉大なリュックサック革命というヴイジョンを見る。何千、いや、何万という数の若きアメリカ人たちが、リュックサックと共に放浪している姿をだ。山の頂に登っては祈りをあげ、子どもたちを笑わせ、年寄りたちを喜ばせ、若き女の子たちを幸せにし、若くないおばさんたちをより幸せにさせていく。みなことごとくがゼン(禅)にのめりこんでいるものたちで、理由もなくいきなりたちあらわれる詩をせっせと書きとめ、そしてまた親切から、それも予想もしない奇妙な行為で、万民とすべての生きとし生けるものたちのために永遠の自由というヴィジョンを与え続けるのさ・・・」
——ジャック・ケルアックの小説『達磨の放浪者[ダルマ・バムス]』のなかで
ジャフィー・ライダーという登場人物が口にする言葉(北山訳)
ビートの小説家で、詩人でもあったジャック・ケルアックが、それらの言葉を書きとめたのは一九五八年のことだった。彼はその前年の五七年に、代表作となる『路上』[オン・ザ・ロード]を発表し、ビート・ジェネレーションの登場を世界に向けて宣言したのである。(註・実際のオン・ザ・ロードの旅は第二次世界大戦が終わった直後の1947年から48年にかけての冬におこなわれたものだった。右下の表紙写真は初版本のカバー)
当時はまだ街にしゃれたアウトドアショップなどはなく、いわゆる山屋やスキー屋が、新しい旅人たちにとって旅の道具[ギア]の供給場所となっていた。ビート世代が夢に見た「リュックサック革命」は、その後七〇年代の「バックパッキング・ムーブメント」に引き継がれ、街にはアウトドアショップが増えていく。
多くの若者たちが、丈夫で長持ちする、そして可能な限り重量を抑えた必要最低限の道具をそろえて、世界を旅しはじめた。インド、南北アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、日本列島の各地でも、バックパックを背負って旅をする新しい世代の姿を多く見かけたものだった。
情報行為の自由は、それは何を意味するのでしょうか?
しかしそうしたバックパッカーの多くが、二〇世紀末になるまでに労働・生産・消費・労働・生産・消費と限りなく続くシステムに結局のところ取り込まれていってしまう。二一世紀にはいった今、バックパッカーの姿を見かけることはまれになり、前世紀から比べると人々の旅のスタイルも劇的に変化した。
リュックサック革命は不発に終わったのだろうか? いや、ぼくはそうは思わない。バックパックに引き継がれたこの革命は、人生そのものを旅ととらえる認識の広まりと共に、今、新しい段階に入ろうとしているようにも思える。
ビート世代がヴィジョンしたリュックサック革命は、当然のことながらアウトドア産業のためのものなどではなかった。彼らはできるだけたくさんの人たちと会い、その人たちを幸せにする必要性を感じていた。できるだけたくさんの人と出会う心豊かな旅して成長していく旅の道具の象徴が、リュックサックだったのだ。リュックサックがバックパックになることが「革命」だったわけではない。
もちろん軽くて丈夫で使いやすい優れた道具があるに越したことはないのだけれど。「旅においては目的地に到着することよりも希望を持って旅することの方が大切だ」という言い伝えがあるではないか。
管理された社会において絶望がはびこり、人生という旅において希望を求める人たちが急増している今、ケルアックの言葉を借りれば、永遠の自由を言葉や詩で伝えて、年寄りや女性や子供たちを幸せにしつつ旅を続ける世代が生まれ出でようとしているように思えてならない。
今年は、ビート世代が道の上に出て、文化のあり方にパラダイムシフトをもたらしてからちょうど五〇年目の節目にあたっている。そろそろ、自分にとってほんとうに大切な、最低限の道具とはなにかを確認するためにも、そして精神的に「さらに成長する」ために、人と人とのつながりを確認するために、信頼がさらなる信頼をはぐくむことを知るために、新しい世代は路上に出てほしい。
ケルアックが半世紀前に書き残した冒頭の言葉は、今もなお、静かに、そして力強く、ほんとうのことを訴え続けている。
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