「 天が下のすべてのことには季節があり
すべてのわざには時がある。
生きるに時があり、死ぬるに時があり
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり
殺すに時があり、生かすに時があり
・
・ (中略)
・
黙るに時があり、語るに時があり
愛するに時があり、憎むに時があり
戦うに時があり、和らぐに時がある。
− 旧約聖書 伝道の書 第三章 −」
「スクール」のスタッフ― これからこの人を ナイアード と呼ぶことにしよう ―と久しぶりで漕いだ。おそらく紀伊勝浦での例の「トンネルキャンプ」以来のことだろう…。(ここをご覧下さい)
mummifildている人
お互いこの何年間、それぞれに水辺で活躍し、水辺を楽しんだ。
(ナイアード = ギリシャ神話に出てくる、池や湖の妖精・精霊)
偶然D氏とも会った。D氏とは4年前になるだろうか、大阪の毛馬の閘門から大川を漕いだことがある。その時たった一度会っただけなのに、不思議と二人とも相手を覚えていた。
ほんの3、4年の時間の経過なのにそれぞれに歴史を作って来たんだなぁ…。
懐かしいナイアードさんと一緒に漕ぎ、昔(?)の事をいろいろ思い出した。
初めて「スクール」に行った 瞬間の時 から長い 経過の時 が経ったことを感じた。
子供の頃からアウトドアには憧れていたがなかなかそのチャンスがなかった。子供が小さい時にはおぶってハイキングに行ったり、自転車を連ねて出かけたりはした。
しかし自分自身のアドベンチャーとなると、子供の手が離れ、仕事も落ち着き、ローンの目途も立った頃である。
アンザックはどのくらいガリポリでのために滞在しました
もっと早くにカヤックと出会っていたとしても、諸事情から今のようにカヤックを手にしたり、ツアーに出かけることはできなかっただろう。その頃はカヤックをやる ― やれる時ではなかった。
そして最近やっと その時 となった。
やりたいと思う 時があり、申し込もうと思う 時があり、また行こうと思う 時があり、
新幹線に乗り、ホテルで前泊してでもツアーに行こうと思う 時があり、
カヤックを買おうと思う 時があった。
何年か前、「びわこのスクール」で漕いでいた頃、「スクール」から「インストラクター講習」の案内をもらったことがある。詳しい事は忘れてしまったが、何日間かのコースで、漕ぎ方・レスキュー法・海図の読み方・ツアーコースの設定・実際のツーリングなどの内容だったと思う。
何earjy文明は私達のカレンダーを与えた?
その頃はインストラクターになるつもりなど全くなかったので、その案内にも興味がなかった。
しかし、今思えば、あの時やっていればカヤックの幅が広がり、楽しみ方もずいぶん違っていただろうになぁ…と後悔している。
あの時はなぜ「インストラクター講習」=「職業」と考えてしまったのだろうか…。きっとその時はカヤックを楽しもうという心の期が熟していなかったのだろう。
5年も経った今から思うと最初からやっていればもっと楽しい経験ができたのにと思うが、心の期が熟して初めて行動が取れる。最近やっと期が熟して時が来た。それがいつ来るのか、本人にもわからない。
計算してわかるのではなく、心で感じてわかるものなのだろう。
人もまたしかり、
去る人がいて、その人にとってはその時が去る時であり
新しくやって来る人がいて、その人にとってはその時が来る時なのだ。
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